「ロヒンギャ問題」が大きく報道されるにつれ、なんかトンチンカンとも
思える書き込みを目にするようになってきました。
そこで、ちょっと(これまた)長いですが、今年の4月、Facebookに
アップした書き込みを再掲したいと思います。
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ビルマ(ミャンマー)で今日(30日)、民主的に選ばれた大統領の
就任式と各閣僚の任命式が行われた。
これで半世紀近く続いてきた軍政にようやく終止符が打たれたと
いえようか。
もちろん議席の25%は軍部が握り、非常時には国軍の最高司令官が
全権を握るというような憲法条項があるにしろ、まあ、一応の「民政移管」が
一歩進んだと思える。
ビルマ(ミャンマー)での大きな変化を横目に、この間、感じることが
ある ── それは、ビルマ(ミャンマー)に関わる一部の人の
ビルマ(ミャンマー)に関わる姿勢が、あまり変わっていないなあという
点である。
実は、変わらぬその当人こそが、変わらぬ日本社会にどっぷりつかって、
そのことに無意識に海外や外国人との交わりをやたらと強調している
ことである。
ビルマ(ミャンマー)は長年、軍事独裁政権が続いていたため、
現地の状況や情報が正確に伝わってきたとは言い難い。
そのため、少しばかり長くこの国に関わっている人が、がぁがぁとがなり
立てていることだ。
私の好きな旅行作家に蔵前仁一さんがいる。
彼の著作『ホテルアジアの眠れない夜』(凱風社)に
次のような章がある。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
威張るな! 長期旅行者
(・・・・・・)
このような人は何もこの場合に限らず結構あちこちにいる。
いかに長く旅行しているかということが彼らの勲章なのだ。
日本人は一か月ですら旅行できる人はあまり多くないので、
こいつのように「おれは一か月も旅行している旅人なのだ!」と
威張ることができるのである。
しかし断言するが、一か月の旅行なんてヒマとカネさえあれば
誰にだってできるのである。二年三年ともなると人生の趣味という
問題も出てくるだろうが、・・・・・・。
旅のよさというのは、長さや、金の有無や、数の多さでわかるという
ものではないと僕は思っている。
要するに自分の中にあるものが旅によって引き出されてくるだけ
なのだから、どんなに長く旅しても、何もない人からは何も出て
こないのだ。だから、逆にそういう人にとっては、いかに長く、いかに
多く旅しているかだけが大切な問題となるのであろう。
こういう人に限って、自分より旅行期間の短い人を見つけては、
説教なんかしたり、威張ったりしているような気がするけど、
まあいいか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今月初め、東京で話をする機会があったのだが、私はその冒頭、
こんな話から始めた(うろ覚え)──
私はビルマ(ミャンマー)関わって24年経っているから、時間を掛けて
この国をじっくり見てきたことになる。
でもそれは、私自身の見方にしか過ぎない。
ただ時間をかけたからといって、現地を深く理解し、正確に日本に
伝えているとは限らない。
明日、初めてビルマ(ミャンマー)に入る人がいるなら、その人は
その人なりに新鮮な視点でこの国を見ることができるでしょう。
通り過ぎる人には通り過ぎる人の、短期間滞在する人にはその人なりの、
(外国人で)そこに住む人には長期滞在者の物の見方があるでしょう、と──
なぜ今さら、こんなことを強調するかというと、軍政時代から続けて
長期間ビルマ(ミャンマー)に関わっている人が、やたらとその
関わりの長さをもって発言しているような場面に出くわすからである。
ビルマ(ミャンマー)軍政の何が悪かったのかを理解せずに、不正確な
情報と状況だけを全面に押しだし、怒りをまき散らしている。
ちょこっと現地に入り、そこに暮らす人びとの厚意にあぐらをかいている
ようでもあるし。
ホント嘆かわしいことだ。
そういった点で、インターネットは便利だな。
その怒りに中途半端に反応してくれる人が、その独善さを支えてくれる
んだもの。
ビルマ(ミャンマー)の社会が本当に良くなって欲しいと思うなら、もう少し
自分の発言と行動に柔軟になって欲しいと思うんだが・・・(自戒を込めて)
《まあいいか。》
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思える書き込みを目にするようになってきました。
そこで、ちょっと(これまた)長いですが、今年の4月、Facebookに
アップした書き込みを再掲したいと思います。
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ビルマ(ミャンマー)で今日(30日)、民主的に選ばれた大統領の
就任式と各閣僚の任命式が行われた。
これで半世紀近く続いてきた軍政にようやく終止符が打たれたと
いえようか。
もちろん議席の25%は軍部が握り、非常時には国軍の最高司令官が
全権を握るというような憲法条項があるにしろ、まあ、一応の「民政移管」が
一歩進んだと思える。
ビルマ(ミャンマー)での大きな変化を横目に、この間、感じることが
ある ── それは、ビルマ(ミャンマー)に関わる一部の人の
ビルマ(ミャンマー)に関わる姿勢が、あまり変わっていないなあという
点である。
実は、変わらぬその当人こそが、変わらぬ日本社会にどっぷりつかって、
そのことに無意識に海外や外国人との交わりをやたらと強調している
ことである。
ビルマ(ミャンマー)は長年、軍事独裁政権が続いていたため、
現地の状況や情報が正確に伝わってきたとは言い難い。
そのため、少しばかり長くこの国に関わっている人が、がぁがぁとがなり
立てていることだ。
私の好きな旅行作家に蔵前仁一さんがいる。
彼の著作『ホテルアジアの眠れない夜』(凱風社)に
次のような章がある。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
威張るな! 長期旅行者
(・・・・・・)
このような人は何もこの場合に限らず結構あちこちにいる。
いかに長く旅行しているかということが彼らの勲章なのだ。
日本人は一か月ですら旅行できる人はあまり多くないので、
こいつのように「おれは一か月も旅行している旅人なのだ!」と
威張ることができるのである。
しかし断言するが、一か月の旅行なんてヒマとカネさえあれば
誰にだってできるのである。二年三年ともなると人生の趣味という
問題も出てくるだろうが、・・・・・・。
旅のよさというのは、長さや、金の有無や、数の多さでわかるという
ものではないと僕は思っている。
要するに自分の中にあるものが旅によって引き出されてくるだけ
なのだから、どんなに長く旅しても、何もない人からは何も出て
こないのだ。だから、逆にそういう人にとっては、いかに長く、いかに
多く旅しているかだけが大切な問題となるのであろう。
こういう人に限って、自分より旅行期間の短い人を見つけては、
説教なんかしたり、威張ったりしているような気がするけど、
まあいいか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今月初め、東京で話をする機会があったのだが、私はその冒頭、
こんな話から始めた(うろ覚え)──
私はビルマ(ミャンマー)関わって24年経っているから、時間を掛けて
この国をじっくり見てきたことになる。
でもそれは、私自身の見方にしか過ぎない。
ただ時間をかけたからといって、現地を深く理解し、正確に日本に
伝えているとは限らない。
明日、初めてビルマ(ミャンマー)に入る人がいるなら、その人は
その人なりに新鮮な視点でこの国を見ることができるでしょう。
通り過ぎる人には通り過ぎる人の、短期間滞在する人にはその人なりの、
(外国人で)そこに住む人には長期滞在者の物の見方があるでしょう、と──
なぜ今さら、こんなことを強調するかというと、軍政時代から続けて
長期間ビルマ(ミャンマー)に関わっている人が、やたらとその
関わりの長さをもって発言しているような場面に出くわすからである。
ビルマ(ミャンマー)軍政の何が悪かったのかを理解せずに、不正確な
情報と状況だけを全面に押しだし、怒りをまき散らしている。
ちょこっと現地に入り、そこに暮らす人びとの厚意にあぐらをかいている
ようでもあるし。
ホント嘆かわしいことだ。
そういった点で、インターネットは便利だな。
その怒りに中途半端に反応してくれる人が、その独善さを支えてくれる
んだもの。
ビルマ(ミャンマー)の社会が本当に良くなって欲しいと思うなら、もう少し
自分の発言と行動に柔軟になって欲しいと思うんだが・・・(自戒を込めて)
《まあいいか。》
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